2009年05月20日
川俣晶の縁側歴史と文化下高井戸周辺史雑記 total 2567 count

S47向陽中卒業生さんのメッセージに答える

Written By: 川俣 晶連絡先

 S47向陽中卒業生さんがいくつもメッセージを送った頂いたので、それに答えます。

 ありがとうございます。

 「下高井戸の不自然な低地の由来と古鎌倉街道推定経路の必然仮説」に対して

上から2番目の赤い線、今はアスファルトで固めて車が通れない道になっていますが、昔はコンクリ蓋の暗渠でしたよ。地図でいえば向陽中の南側の道で、荒玉水道をつっきり、下高井戸公園と東電グランドの間の道です。八幡神社のあたりから始まり、大塚ろう学校のあたりまでつながっています。

 はい。それは知っています。私の年齢でも、子供の頃はコンクリート板暗渠でした。最初のモチベーションの1つは、「ドブ板」と呼ばれてどぶ川と思っていたそれらの過去を辿ることができる、という驚きにあります。最初からどぶ川だったわけではく、昔は綺麗な水が流れる農業用水だったわけですね。ここも、一種の「春の小川」だったと思います。

 「玉川上水第二、第三公園地面高さの謎」に対して

自分が生まれ育ったローカルな土地について、これほど詳しい記事があるので驚いています。さて、第三公園の高さですが、私は上水が流れていたのをうっすら覚えています。埋め立てがどのようにおこなわれかの記憶はあまりないのですが、埋め立て後、公園になるまでは何年か今の高さの土手になっていたのは確かです。またうっすらとした記憶では、上水が流れていた時もその両側は土手でした。つまり大雨の後などは、下手すると現在の公園脇の道(正確には道路でなく、水道局所有の通路ですが)よりも水面が高いということがあったかもしれません。また御承知のように、美宿橋から小菊橋にかけては上り坂なので、公園の地面の高さはずっと変わらないのではと思います。

 うーん。なるほど。地面よりも水面が高い可能性ですか。

 地面の高さ、土手の高さ、水面の高さの関係は、もっと詳しく情報を知りたいところですね。しかし、詳しい資料がなかなか見つからないのです。残念。

 (そもそも上水は戦略的な資源なので、公開情報が少ないという問題もあります。それから、東京都水道歴史館が6月まで閉館中というのも痛いところです。ここが再開したら図書室で調べたいことは多くあります)

 「盛り土のある下高井戸2丁目2の水道用地の謎」に対して

これは、私も昔からの謎でした。防災倉庫は、消防団のポンプ置場として記憶の限り昔からあった様な気がします。ところで最近「すぎ丸」ができて、美宿橋の次は不動跡というバス停なんですね。これがここのすぐそば、私は「ああ、あれは不動跡だったんだ」と勝手に思っているのですが。。。たぶん近くの八代金物店か、AMPM三田屋のご主人ならわかるのでしょうね。すぎ丸の停留所名は、このほかにも「一里塚」とか「火見櫓」(これはあったような気がする)とか誰が考えたのでしょうね。

 「すぎ丸」の停留所の名前については私も引っかかっています。たとえば、美宿橋など、橋からの近くというわけでもありません。

 これらはいずれ調べたいと思っています。杉並区関係の資料を調べていると、そのうちに出てくるのではないかと思って漠然と棚上げ中です。

 ちなみに、三田屋さんは既にAMPMの経営からは手を引いているので、三田屋さんの関係者はもう店には出ていないはずです。(コンビニはとても大変らしいです)

余談 §

 地元の歴史と謎は、大宇宙の神秘と同じぐらい刺激的だと思います。知っている場所だからこそ、意外性が大きいわけですね。分かる人はごく僅かとはいえ、面白いと思ってくれる人が3人いればやる気が出ます。

下高井戸周辺史雑記